「石見銀山ガイドの会」によるワンコインツアーに混ざって龍源寺間歩を目指し銀山公園を出発、暫く経って何にも無い所で立ち止まって、ガイドさんが山の方を指さします。
「あそこの山頂のなだらかになって居る所に町が有ったんですよ」、マジかマチュピチュみたい。
更に歩くと古めかしい建物が。
「石見銀山御料銀山町寄山組頭遺宅」との事。
道中には他の間歩も。此処は「福神山間歩」
って、そもそも「間歩」って何なの? という話なんですが、この穴をあけるのにルールが合ったみたいで、なんでも23mは空けなきゃなら無いんだそうですが、この間を歩く事から「間歩」という話も有るとか無いとか(諸説あります
で、実際に入る事の出来る間歩が、ここ「龍源寺間歩」になります。
古い坑道は途中までで、出口側の坑道は観光用に作られたモノが、
出口付近には嘗ての銀山を描いた巻物の写しがパネル展示してありました。
嘗ての集落跡、栃畑谷・昆布山谷の石垣を見ながら、先ほどの高橋家住宅の手前でツアーは解散となりました。
自分は栃畑谷・昆布山谷方面で気になるモノが有ったので引き返します。
植林された杉の影響で階段が歪んでしまったそうで、現在工事中なのですが、こんなシュチュエーションの神社、参拝せずには居れないと言う事で
新切間歩…、いや、まぁ、渡れ無くは無いけどハマったら嫌だしなぁ…。
で、こっちのルートを選んだのには訳がありまして。石見銀山来て一番見たかった場所がこっちのルートなんですよね。
と、言う事でやって来ました「清水谷精錬所跡」。僅か1年の稼働で廃止になった近代的な大規模精錬所の跡、別子なんかもそうだったけどやっぱり大迫力だわ。
ただまぁ、当たり前と言えば当たり前なんですけど、結構立ち入り禁止の場所が多くて。櫻の植林とか見てると、昔は入れたんでしょうけどね(汗
それでも、こう言う石組みや煉瓦組みを見てると嘗ての威容は十分に想像できるわ…。
と、清水谷の遺構を堪能し、今度は古い街並みの残る大森地区へ歩みを向けます(「中国九州駆け巡り旅 04」続く
石見銀山の写真はHPにUPしています。
前日の話→「中国九州駆け巡り旅 02」